メタリカ・スルー・ザ・ネヴァーという迷作

メタリカ・スルー・ザ・ネヴァーという迷作

実在バンドをモチーフにした映画

映画作品ともなれば多種多様な作品が世に送られているが、その中には『名作』と呼ばれる映画が登場することもあれば、中には『迷作』だと罵られることもある作品もある。前者に関しては一般大衆の誰もが見て感動した作品のことを有体に指し示している。例えるなら『タイタニック』や『ロード・オブ・ザ・リング』といった日本でも驚異的なヒットを繰り出した映画作品だ。言うなればどんな趣味を持っていようと面白いと思う作品、もしくは感動を誘う作品には人間性という個性の垣根は存在しないことを意味している。

しかしだ、大衆映画ともいえる名作と対照的な存在でもある『迷作』などと揶揄される作品に関しては、おそらく人の趣味や好き好きによって視聴するか否かが決まってくるだろう。このての作品は何かと個性の強いもので、そもそも映画化することで一体何を伝えたいのかという種子が上手く伝わってこない作品ばかりなのが印象的だ。勿論そればかりではないが、マイナーと呼ばれる作品の中には、そもそも訴えるものはないとしているものもあるからだ。また一貫したテーマ性を重視しても何も意味がないと語る人もいる、どうしてそのようなものいいが出来るのかというと、単純にエンターテインメントというモノで考えてみると、単純に面白いという一言で括れば問題ないとする考えを持っている場合もある。

どのように感じるかは人それぞれだが、映画といってもやはり人気が出なければ制作費を回収することは出来ない。公開されるからこそ、ある程度の興行収入を得られなければ意味がないため、やはり何かしら娯楽要素を取り入れた奇抜な内容に仕立てることも重要だ。しかしただ盛りすぎても、誇張しすぎてもやはり話としてみるとあまりに肥大化しすぎてしまう。ある程度まで規模を狭めることを考えなければ、ただ漠然と映像を垂れ流しているだけの愚作として罵られてしまう。それはさすがにまずいため面白いだろうと思われる演出を取り入れて映像化が盛んに行なわれているが、それでも全く内容を理解できない場合もある。

ここで話をするのは、個人的な目線からこれは些か何を伝えようとしているのか良く分からない映画作品でもある、『メタリカ・スルー・ザ・ネヴァー』という作品について話をしていこう。同作品はどういうものなのか端的に述べると、正直よく分からないだろう作品と感じるかもしれないが、一先ず説明していこう。

映画のあらすじから

正直なところ、見た限りで思った事は一つだ、『・・・・・・どういうことだろう?』と率直に感じて何が起きたのかと映画の展開を追うのに必死だった作品でもある。見たことがない人もいると思うので簡単にあらすじから紹介して行くと、こんな内容になっている。

あらすじからなんだか
極限の興奮状態にあるメタリカのライブ会場にて、ツアースタッフとして勤務しているトリップという一人の青年がいた。観客達が会場で怒号交じりの声援を送り続ける舞台の裏側で、トリップはツアースタッフのある幹部役員が、ライブに必要な大事な道具がまだ届いていないため、この受け取り先となっている地図を持って取りにいくよう指示される。訳が分からないまま会場を後にするトリップだが、地図上に記されている目的地まで車で走行していると、突如として制御の利かなくなった車に側面から衝突されてしまう。車は横転し大破してしまうが、辛うじて無傷で車から脱出したトリップだったが、街の外に出た瞬間に明らかな異様な空気をすぐさま察知する。見ると自分は、暴徒と化している群集とそれを制圧せんとばかりに立ちふさがっている機動隊を目撃する。両者の争いに巻き込まれ、何とか命からがら逃げるトリップだったが、その中で1つの存在が彼を付け狙う。現代の街並みには些か異様な雰囲気を持っている馬に乗ったマスクを被った騎士が現れると、見るも無残に暴徒と機動隊を蹂躙して行く。その牙はトリップへと向けられることなり、騎士からの追撃を逃れながら、バンドの大切な荷物を無事送り届ける道中の折、自身の身も守らなければならない極限状態へと追い込まれていくのだった。

意味が分からなくてもいい作品かもしれない

上述のようなあらすじとなっているわけだが、正直なところこの話を理解するという意味ではある種難解な作品となっているのは否めない。むしろそもそもどうしてこんな映画を作ろうと思ったのかという、根本的なところから疑問に感じてしまう人も多いだろう。筆者としても興味本位から見てみたが、まったくといっていいほど何を伝えたいのかが、まるで理解できなかった。結局のところ鞄には何が入っていたのかさえも、明かされないまま終了してしまったため、何気に消化不良が多すぎてもやもやとしながらも視聴を終了することになった。

そんなわけだから勝手に考察をしてみようと思う、ただ見ていて思ったのはライブで繰り広げられている世界観と、ドラマパートで巻き起こる世界の終わりを彷彿とさせる様子は全てリンクしているのではないか、ということだ。そういった点も含めて考えてみると、大体こんな感じになるだろうと予測することが出来る。

・ライブで巻き起こす演出が、そのまま現実へと派生される
誰もが見て思ったのは、やはりライブで行われているパフォーマンスそのものが、現実の世界で繰り広げられていることだ。但しそれもライブが行われているだけということであり、開催されていないときにはいつもの日常が繰り広げられる。つまり、ライブが開催されるとパラレルワールドとなり、元いた世界とは違う現実に引き込まれて、いつの間にか現実なのか夢なのか、理解できなくなってしまうということだ。
・将来起こりうる未来を暗示している?
現実で巻き起こっていると錯覚させる世界だが、実はそれはライブで表現されている未来の世界を予知させているのではないかということだ。遠い未来、いつか来るかも知れない秩序の崩壊と共に待っているのは、狂った人間社会の混沌とした世界となっている。避けられぬ筋書きを誰かに見せることで、それを回避させるために動くか、それともいつか訪れる混沌をそのまま受け入れ、自ら破壊を好むかの選択肢を人々に投げかけているということ。

重要ポイントは鞄の中身

あくまで映画を視聴しての独自考察に基づくものとなっているため、必ずしも合っているとは限らない、というよりも少しばかり想像力を働かせすぎたかもしれないが、ただ無きにしも非ずだ。ただ忘れてはいけないのが、ドラマパートで繰り広げられている大事なキーポイントとなっている『鞄』の存在だ。バンドが活動するに当たってそうした未来を見せるために重要なのが、作品でも一貫して重要アイテムとして語られている『鞄』の存在だ、これ無くしてすべての話が進まないが、物語上では中身こそ不明となっているが、だからこそ作品に対して興味が尽きないという人もいるかもしれない。